節電の夜に

仕事の休みを取ったというのに、今日の東京は「電気をなるべく使うでない」というお達しが出ているらしい。間が悪い。

 

Twitterのトレンド(私のごく限られたニュースソース)にはこの節電のはなしと、ウクライナへの軍事侵攻の痛ましい報せが並んでいて、なんだか世界の終わりのようだ。

私はというといつもと変わらずで、昼すぎにもっそりと起きて、ウーバーイーツで届けてもらったハンバーガーを食べて、一本だけ仕事の連絡を書いて(悪くない仕事をしたはず)、とっととシャワーをあびて部屋で酒を飲み始めている。最近買ったカンパリの瓶は同居人にはやや不評なので、わたしに飲む権利が多分にあるのだ。

もともとは今日から感染予防のうんたらかんたらが終わって営業再開をするひいきの飲食店に行こうと思っていたのだが、この状況でひそひそと出向くのもなあ。あと寒いんすわ。

 

Twitterをダラっと眺めていると、節電・計画停電についていろんな人がいろんなことを言っている。意味があるものはもちろんあるんだろうけど、やっぱりこの「みんなでイレギュラーな災害をたのしむ」空気は好きになれない。楽しんでるつもりはないわよ、と言われるかもしれないが、いやいや熱に浮かされていますよ。ここから醸成される「正しさ」のムードの罪も知らずに。

ひとり「ああ良いことを言うな」と思ったのは、「寒さと暗さは人の心を蝕むので、限界を迎える前に電気は使いましょう」という主旨の投稿だった。ムードが殺してしまうのはまさにこっちの視点なのだと思う。「みんなで楽しくおうち時間を過ごそう!」という旗振りに乗っかるのは各人の勝手で、ある視点においては正しいのだろうが、その正しさの圧力で苦しい思いをした人もいただろう。

 

と言っても意味のない意地を張る必要もないわけで、ひとまず今日のところは節電に気をつけてすごす。ああでも明日着る晴れ着の洗濯と浴室乾燥はさせてもらいますね。

あとは、このムードに呑まれて西東京の木造アパートで寒い思いをする若者がいないといいな。

 

他人のままで孤独なままで、お互いに訪れるべき朝が訪れることを祈っています。

 

ではまた