リメンバー・ミー

映画『リメンバー・ミー』を見た感想。ネタバレある。

 

あらすじ:ミュージシャンを夢見るギターの天才少年ミゲル。だが、彼の一族は代々、音楽を禁じられていた。ある日、ミゲルは先祖たちが暮らす“死者の国”に迷い込んでしまった。日の出までに元の世界に戻らないと、ミゲルの体は消えてしまう!そんな彼に手を差し伸べたのは、陽気だけど孤独なガイコツ、ヘクター。やがて二人がたどり着く、ミゲルの一族の驚くべき“秘密”とは?すべての謎を解く鍵は、伝説の歌手が遺した名曲“リメンバー・ミー”に隠されていた…。

 

 

 

 

わたしの感想→違うだろ!!

 

けっこう本作は身の回りで褒める文脈で話題にされることが多くて、「死者の記憶」と「音楽」の話であることは知っていた。

で、見る前の私は

「その2つのテーマを扱って褒められてるなら、『こういう話』ってことだよね? 素晴らしい。最高。傑作だわ」と思っていたのだが……『そう』じゃねーのかよ!

 

この映画、世界観の見せ方は冴え渡っている。死後の世界。「誰かが覚えてくれたら消えない。忘れられたら、本当の意味で死ぬ」という価値観。『ONE PIECE』のDr.ヒルルクの死に際のセリフは幼い当時読んでもピンとこなかったが、これならわかる。何よりメキシコの死者の祭、そして日本のお盆を理解する最高の教材だろう。

 

しかしながら私がハマらなかったのは、先に挙げたテーマに加えて「家族」が入り込んでくる……というか最終的にはこれこそが最強の存在になってしまったことだった。

そりゃあ、死者のことは多くの場合、家族が一番覚えててくれるのかもしれない。死者の祭・お盆のフォーマットもそれを前提とするものだろう(一般に友達のために「おくりび」はしない)


でも、それだけじゃない。それだけでは決してない。血縁関係なんてない、人生で交わったのは一瞬かもしれない、もしかしたら顔も知らないかもしれない、そんな人をずっと『覚えて』いることはないか?

あるいは。ひとつひとつの異なる個体でしかない俺たちが生きていく中で何かをして(何でもいい。大きくても小さくても)、それさえ人の心に残っていれば俺たちは消えないのだとしたら、そんなの希望でしかないじゃないか。

そして、それを描く最高の題材が音楽じゃないのか。形もなければ、作曲者の顔なんて大抵浮かべて聴かない。しかしメロディというものは確かに記憶に強く刻まれる。そんな音楽をもって「死者が残したもの・記憶」の話をするなんて!と映画を観る前から感極まってしまっていた。

 

……のだけどなあ。そうはならなかった、というか、「音楽」よりも「家族」を描く作品だったかあと。なので基本的には上記に大きく反する、というよりは別角度で行ったのね、という話ではありつつ、「孤独」と音楽は自分の中では切って切り離せないものでもあるので、実は反してもいる。

※家族と孤独は相反する要素ということ。厳密には家族というテーマの使い方次第で、そこから孤独を描くことはあるのだけど、本作はそうではない。

 

先に好きなシーンを言うと、洞窟に落とされたミゲルとヘクターが、お互いが家族であることを知るところ。これまでの家族の無理解に対して、ようやく音楽を通じて理解し合える人に逢えた感動。「俺の家族は最悪だと思ってたけど、お前が家族でよかった」というセリフの、もうこの世界には自分と繋がるものは何もないのだ、という感覚に手を差し伸べられる感じはとても(自分にとっては)「音楽的」だ。

 

そして一番「……?(不服)」となったシーンは、ラスト、ママココに持ち帰った歌を聴かせるとこ。

いや、ここのママココ自体は良かった。少女時代の記憶に触れて、ママココが「かわいらしく」見える表情をするところはシナリオと映像表現の勝利だ。

そうなのだけど、これは「ママココと、ヘクターと、ミゲルの物語」であるべきだった。なんでここで「家族との和解」も成立をしてしまうのか?先に挙げた三者が分かち合った何かは確かにあるとして、家族とは何を分かち合ったのか?

それが分からないまま家族との大団円に進む、という展開が自分には受け入れがたかった。前提として、ミゲルの家族は徹頭徹尾ミゲルの思いに対して無理解な人間と描かれている。フィクションにおける「嫌な家族」の典型寄りの造形だと思うのだけど、そこに対するエクスキューズもないまま、「すべてうまくいった」かのような空気に物語が飲み込まれてしまう。家族という魔力のようなものに。この何か、個人と個人がそれぞれの人生において得た唯一無二の美しい繋がりが、家族という大きく漠然としたシステムに飲み込まれる感じが、ぞっとしたのだ。ミゲル。お前は、1年経ったらそんな奴らの前でギターを弾いてやれるのかよ?

 

まあ「家族」というものへの目線の話はこのくらいにしておく。こうして振り返ると「期待した、私の好きな類の音楽の話ではない」×「代わりに、私の嫌いな類の家族の話をしている」という最大級のフリ-オチを観せられた、ということでもあるな。

 

「音楽」の話は先に書いた通り。孤独でふぞろいな僕らが、人生という長い時間のほんの少しの間、その旋律を介して何かを分かち合うこと。それを通じて、音楽を作った遠くの誰かを「覚えて」いること。この美しさを描く素晴らしい題材だったことは間違いない。

 

ということで、自分が『リメンバー・ミー』がどうやら凄いらしいぞ、と聞いた時に確信を持って予想して勝手に感動していた「俺の『リメンバー・ミー』」のラストシーンはこちらです。

 

本編クライマックス。ヘクターが助かる理由は「Remember me」という曲を皆が覚えているから。ヘクターの遺影を取り戻すことは上手くいかず、もうダメか!と思ったがヘクターは死なない。→だってみんな「あなたの曲」を覚えてるんだから!→死者の祭のフィナーレで合唱。


そしてエピローグ。いつかのどこか、だれかの話。

夜。外は吹雪で、蝋燭を立てた部屋には少年が一人。両親は寝静まっているのか、はたまたいないのか、他に人の気配はない。

かじかむ手を揉みほぐして、少年がギターを爪弾いて歌う。

「Remember me〜」

カメラが引いていって、しんしんと雪が降り積もる夜の街に、一つ灯が灯った家が遠目に見える。少年の歌う曲と画面が揃ってフェードアウトしていく。Fin.

→Remember me(音源)に合わせてエンドロール

 

これやろ。ではまた