ドロステのはてで僕ら(あるいは難波で)

映画『ドロステのはてで僕ら』を観た感想。ネタバレある。

 

>とある雑居ビルの2階。カトウがギターを弾こうとしていると、テレビの中から声がする。
見ると、画面には自分の顔。しかもこちらに向かって話しかけている。
「オレは、未来のオレ。2分後のオレ」。
どうやらカトウのいる2階の部屋と1階のカフェが、2分の時差で繋がっているらしい。
“タイムテレビ”の存在を知り、テレビとテレビを向かい合わせて、もっと先の未来を知ろうと躍起になるカフェの常連たち。さらに隣人の理容師メグミや5階に事務所を構えるヤミ金業者、カフェに訪れた謎の2人組も巻き込み、「時間的ハウリング」は加速度的に事態をややこしくしていく……。
襲いかかる未来、抗えない整合性。ドロステのはてで僕らは ――。

©︎ヨーロッパ企画/トリウッド

 

完全にSF的アイデアの勝利。かつ、それが「映像で見るのが一番面白い」っていうのが低予算SF映画として満点なんじゃないか。

他のギミックでもこのストーリーライン自体は作れるはずなんだけど。「テレビとテレビを向かい合わせて、」。この発明に至るまでの会話劇のボルテージの上がり方や、この展開以降の単純な視覚的な面白さ!これが強い。

 

…といいつつ私がいちばん感動したのはこの映画のストーリーラインであったりする。クライマックスでヒロインが「既定路線として提示された未来を拒絶する」シーン。

ヨーロッパ企画と言えば、の『サマータイムマシーンブルース』のラストは「なあ……苗字って変えられんのかな」だった。未来は決まっているが、そこに「飛び乗る」ことで、臨む未来に自分を持っていけるかも……という話だよね。たぶん。

『ドロステ』はその逆で、未来を変えちゃう。そもそも『サマー〜』がツイストを効かせたオチなわけだから、ひねり戻して(?)ド素直。SFモノとしては一歩間違えれば陳腐すぎるんだよな。でも、だからこそ感動する。それはきっと、そのド素直をすぐ私が忘れてしまうから。サマータイムマシーンブルースを奏でる若者たちには容易すぎるけれど、ドロステの果ての僕ら大人には難しいことだからだ。ぜんぜん変えちゃっていいんだよね。

 

***

70分尺でアマプラにあるっていうのも良い。大阪→東京の新幹線で観たんだわ。

大阪にはハンブレッダーズのワンマンを観に行った。私の一歳年上の頼もしすぎるロックバンド。感染症のなんとかかんとかで短め(つっても18曲)の演目でも良いロックンロールには関係無いよな。

あとふつうに早めに終わったおかげで行きたかったお好み焼き屋にギリ入れて助かった〜。天満の千草っつう、たぶん有名なとこ。お好み焼きもさることながら、牡蠣の鉄板焼きがうまい。鉄板上のあらゆるうまみが集約されたキャベツが。あとドリンクメニューが端的で最高。

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帰宅して次に見たい諸々のチケットをドシドシ申し込んだ。明日は谷賢一率いるダルカラの舞台を観るよ。これも面白いといいな。

 

ではまた