あまりかぜ

家から東方向に大通を15分、キリンのグリーンラベルの発泡酒を片手に歩いた。今から西に15分、さっき買ったレモンサワーを片手に歩く。

 

どうせこういう自死の真似事をするならとっとと済ませればいいものを同居人のいる部屋で散々うだついてから出るのだから何とも迷惑な話だ。

 

ただ生き延びるためだけの日々に閉じ込められた一年前のことを思う。今は状況が違って、ふと冷静になれば自分はこういうことに頭を悩まし続けるために仕事を選んだんだろう、望んだしあわせじゃないか、という自分(なのか?)が現れる。いや、そんな環境にいながら今日1日を怠惰に過ごした自分に失望してるからこんな風に歩いているのだけど。

 

何で物語を届けるのか。新しい物語を。仕事には大義がいる。だって、みんな仕事とセックスの話ばっかりじゃないですか(あとは流行り病)。現実だけで生きたらゲーム構造は収束する。そこで負けたら死ぬのかな。そんな世界でいいわけないだろ。人が人生を賛美する理由はもっともっとあっていい、その多様さを見出すのが物語だ。

 

という大義を掲げながら私は強い物語を世に届けられなかったらもう消えるしかないと思っているのが笑える。生き方の多様さなんて今の私に無い。いま、「今の」を前の文に差し込んだ。こういう小癪さと頭の硬さ、どちらかでもこの大通りの車道に放り投げて粉砕できませんか。

 

シュリスペイロフを聴く。こういう時のシュリスペイロフは良い。アルバムが終わったところでbluetooth イヤホンが不具合を起こしてシャットダウンした。薄情者め!!いや、シャットダウンした後の君の世界に、私にわからない賛美すべき時間があることを祈る。

 

帰路につこうか