すずめの戸締り

新海誠『すずめの戸締り』の感想メモ。

 

※ネタバレする

※推敲してない

※公式資料一切読んでない

 


・前提として、めちゃくちゃ期待して観ないようにはしていた。「君の名は。」→「天気の子」の進化の延長線上で今回さらに超えてくる、というのはあんまり想像できず。新海も俺たちも身がもたんだろうと。

・そう思えたのは事前告知段階で明らかに既存作と異質な雰囲気だったのもあり、これを正直に打ち出したのは正解だと思う。

・上記の身構え方は概ね合っていた印象。少なくとも君の名は。→天気の系譜からは意識的に降りていると思う。その上でちゃんと「今、新海が作る意味のある作品」になってるのには感心した(後述)

 


少女小説・漫画のコード進行

・少女向け文化の匂いだなあ(たぶん)と思う要素が多かった。女主人というだけではなくて、イケメンが椅子になっちゃう、とか、呪文の和風ファンタジー感とか、デカい猫が戦うとか。

・これを指してジブリ的と言ってる人も結構いる


・芹澤(CV神木隆之介)。笑。集英社マーガレットコミックス版の原作「すずめの戸締り」の最終18巻にある芹澤目線の番外編良いよね。ちょっとすずめに惹かれてもいるんだけど、立場もわきまえてしまう感じ。


・キャラ萌えを宗像が引き受けたのが顕著な転換。君の名は。でも男友達グループが可愛かったけど、それがメインに。

・しかもそのベクトルが強いイケメンが椅子になって無力化する→私だけが秘密を知ってる。無力さへの母性、みたいな方向のくすぐり


・ヒロインのキスの価値を落としたのは発明。素晴らしい。キスの民主化


・すずめの人間性がわからん、という感想はわかる。それは主人公属性「どこにでもいる女の子」だからなのでは。

穂高にもおんなじような文句があった気が。一方で"俺たち"だと思っている我々には全くピンとこない批判なわけで。過去エピソードの掘り下げがないって…そりゃあ「色々」あったに決まってんだろ。という共通文脈が補完するところ。

・それの女性版がすずめなら俺がわからんところがあるのは仕方ない。


・坂の上ですれ違ったら恋に落ちちゃうだろ?は男女共通。

・女性主人公の方が、私…なぜか気になっちゃってる!に自覚的? 男子は言い訳が欲しい。助けなきゃ!とか。


・劇場出て開口一番「気持ち悪いところがなくてよかった、JKの口噛み酒とか」と言ってる同い年くらいの女性2人。

・これまでの課題への対策感がある。オタクコンテンツ風味の性ユーモアから漂白された(ようにみえる)男女カプ。

・まあ実は隠れ変態性はあるのだが。椅子に胸当たってない?!とか、座られてお尻当たってるとか、踏まれるとか。

→宗像のリアクションを排除できたのが上手い。伝わる人には伝わる仕組みになっている(こんなしょうもないことで言いたくないが)


・天気の子でゼロ年代エロゲ版の共同幻想を綴ったブログがすごい好きなんだけど。

https://cr.hatenablog.com/entry/2019/07/23/000034


・これは天気が「どこかの文化圏」「ある一定程度共通の価値観を共有する集団」(これらは決して広くない)にブッ刺さる強度があったという話に思う。

・それでいうと、すずめは上記で書いた少女性において、これをルーツにしてる人たちにブッ刺さるかが一つの資金石になるのでは。

・という意味において、鑑賞しながら自分はこの映画をそもそも評価する立場にないなと思っていた。このあたりの感覚をどちらかというと女性客に聞きたい(同居人は「ジブリ」寄りの感想だった)。


■ストーリー

・出てきた客の声その2(別の人、複数人)「今回が一番お話を理解できた」…マジ?!

・と思ったがこれは"理解"の粒度の話で、結構重要な感覚。

・マジ?!と思ったのは自分としては背景心理や世界観へのエクスキューズはかなり情報不足で、よくいえば解釈余地がある、悪く言えばけっこうほっぽり出したところもある映画に思った。

・余談:別に自分も100%の説明は求めないのだけど、さすがにダイジンのあとの西日本の要石どうなるの問題は気になっている。

・一方で、確かにストーリーラインは明確。「扉を閉じて日本を北上するロードムービー」、以上。なるほど、わかりやすいわ。


・そしてロードムービーをもって震災ものをやる、というのは正解に思った。

・前提、これまでの2作で天災に対しては「なかったら良かったのにね」「あってもいい。世界はもう狂っているから、あるいはそれでも我々は健やかでいられるから」という立場をとってきた。

・ごめん、天気の解釈はこれだけで論文ひとつ書ける話題だから雑かつ曲解かもだが、何が言いたいかというと、震災の受け止め方に対して割とアンチテーゼというか逆張りの立場を時代時代で採ってきた人だと思う。し、それが特に天気においては強烈で美しいメッセージとして、刺さるところに刺さった。

・その上でまだ書くとしたら、残っているのは「無かったことにもならない、しかし到底受け入れ難い」というリアル。

・天気は「君>世界」だからの結論なのだとしたら、今度は上記の立場に立つために「世界」の尊さを描かないといけない。

・それをやるのにロードムービー=少女が世界を知っていく構造はハマってた。

 


・しかしもっと活かせたのでは、と思うところもある。

・東京のミミズを止めるシーンのすずめの葛藤(宗像を要石にする/しない)にどこまで共感させられるかという話。

・「いや普通そうするでしょ」はこの場合考えないものとする。

・あそここそ「世界の価値、そこで息づく人々の愛おしさを知ってしまった」ことが活きるシーンなわけで、それを示唆するカットは欲しかったような。

・例えば「(東京に住む)親の家業を手伝う男子高校生、親と兄妹、飲食店のマスター」みたいに、これまで地方ですずめが触れ合ってきた人と同じような人たちがここにも生きているのだ…みたいなことをふんわり伝えるカットとかがあるとあそこの説明力は上がる。

・あの決断は天気との分岐としてやる意味があったからこそ、ストーリーとしての強度は出せるだけ出して欲しかった。「普通の子ならこうする」、に収まってしまった印象。


・ほか。ドアの向こうにいたのは自分だった!はベタだけどやっぱ素晴らしいわ。

・あそこの尺を長く取るのが作家性だなあと思った。

・整えるなら「母と見間違えるくらい成長したすずめが、一言何か言葉をかけて立ち去る」くらいがスマートかつ、ロードムービーによる少女の成長を描いた感がバシッとある。

・でもけっこうあの場に来てもすずめはマゴマゴしてるんだよね。道中というより、あの場において成長した感じの描き方。これはこれでリアルというか手触りがあって、こういうのは大事にすべき。


・叔母さんとのいざこざの解決もよかった。「そういうこともあるけど、それだけじゃない」っていうのは近しい人に悲しい言葉を使ってしまったことに対する最も誠実な弁明の一つだと思う。冴えた脚本。

 

■震災

・そもそもは震災ものをやりたい人だったんだっけ?

・自分にとってた新海=この世界で生きることの肯定、そのための世界の再解釈の人。

君の名は。は「誰か忘れている運命の人がいる」あるいはもっと素直に「東京ってきれいだよ」。

・天気であれば「この狂った世界も誰かの美しい物語の結果」とか、例えば。


・世界と震災が不可分、ということはある。

ファーストガンダムにおいては戦争が時代的にリアリティを持っていて、水星の魔女においては企業間闘争になった、という話。

・震災なしにボーイミーツガールを描けない。現代の価値観に浸透しきっていて、無視できない。

・すずめの価値観=死を受け入れている感じは時代性を捉えていて良かった。

・その中でも生きたいと思うこと。一緒に生きたいと思う人に出会うこと、ということを描く価値は確かにある。


・一方で、世界を描いたかもしれないが肯定された気にもならないのも事実。

・かなりリアルを描いていて、例えば地下のミミズはもはや直球の例え話。

・要石。逆にこれは何のモチーフなのかわからない。というかモチーフがあるというより、ものの味方というか思想なのだと思うのだけど。作劇的に簡単にドラマを作れる一方で、今回だとこの構造自体は解決しない(要石は常に必要)という厳しい事実を突きつけた上で、それを現実に我々が持ち帰る先がない、というのは自分の趣味ではない。

・宮崎発で東北に向かう、というのはやっぱりどこかでそこにケガレがあるような感じにならないか、とそわそわした。(特別な意味ではなく、一般的な、古来日本の価値観的な意味でのケガレ)

・震災があったこと前提の物語。今までで一番時代性を使っていて、良くも悪くも100年経ったら解説がないと理解できない映画。


・大作3本目というと細田守の「おおかみこども」への流れを連想していた。新海誠は自然災害の人になるのか、それともここで清算を終えたことになるのか。

 


■あまりに創造的な清算

・繰り返しになるが上記は「真正面から震災を描く」ときにおいて、まあそうなるよな、ということをちゃんとやっているという話。

・既存作品における災害の扱い方への批判に対してのアンサーとしてはこれ以上なく誠実だろうし、正解を出している。


・手前で触れたフェチ的な描写の(見かけ上の)排除もそうで、これまでキモいキモいと言われてきたことに対して明確に解決している。


・これらをどう捉えるかで。自分の初見の感想を言ってしまうと「ちゃんとしすぎてて不安になる」だった。

・勝手な想像力を働かせると弁明にも見えた。「いや俺、こういうこともやりますんで!」という。

・少なからず大きなところに出るというのはこういうことなのだけど、それにしてはカッチリ決まりすぎていて勝手に心配になった、というところか。


・ただそれでも(だからこそ)本作が素晴らしいのは間違いがなくて、震災を真正面からやる上でのアプローチは大正解だし、オタク文化のキモいところを単に漂白して薄味にするのではなく、別軸で刺さる層がいる旨みをちゃんと作っている。

・自分は天気での世界との距離感に大いに納得したり、まあ多少のキモさは喜んでおくか…という立場だった。要するに手前二作品で満足しきっている人間で、すずめはそうじゃない人に作っているのだろうと。

・その意味で本作に関しては肯定的な意味で自分向きではなく、一方でこの世に確実に本作の真価を決める人たちがいるのだろうな、と思いました。


・震災との向き合い方という意味で、ここまでの三作が一区切りなように思う。それがホップステップジャンプでもなく、細田守的な作家性の切り替えでもなく、三作目が最後のピースになった、という流れは美しいのではないか。

・一区切りなように思う(そうであってほしい)


■文句

・君の名はと天気のbgm使い回しはありえん。全てに意図があれ。

・k&a事務所を流すところ…例えばあの事務所が提供した映像をニュースで流しているとかならわかるけど、番組は西日本のものだからな。

・あるとしたら、本作は明確に3.11が起きた世界線の出来事で、これは少なくとも2011年以降に制作された作品群とは世界を別にしているはず。つまり我々のいる世界線に近いので、メタ的に「RADWIMPSが作ったBGM」としてすずめの世界にも存在するとか…いやあ…。


君の名は。でデート〜奥寺先輩のテーマ〜デート2がほぼ同じ曲なことについて昔考えたが。まあ結局曲数の問題で使い回すことあるよね、ということを先に思うように私もなりました。

・でもそれを今の新海作品の予算でやるか?!radのモチベの問題?


以上。3年後が楽しみだ。