案の定ロンリープラネット

ブログのタイトルを付けた。オマージュのオマージュであり、ダジャレである。
誰にも言いたくないような、誰かに言いたいようなことを。

 

wired.jp

 

セルフタイトルのアルバム(『スピッツ』/スピッツ など)を出すとしたら、メジャー1stのタイミングが最適だろうと常々思う。名刺がわりの一枚。「どっちがバンド名でどっちが作品名か分からないよ問題」のいち解決策でもある。

反対にキャリアの途中でセルフタイトルの出すのは心配になる。本当に今がその時か?当該作の以前/以後で語られていいのか?老婆心ならぬ老バンギャ心。

ブログタイトルを決めた初回にセルフタイトル(大仰!)の記事を書く、というのをやってみたかった。内容は平常運転の雑記なので、名刺がわりにはならない。

 

25歳になって人から指輪*1を貰い、日常的に付けるようになった。志磨遼平と同じイオッセリアーニ。柄にもなく素直に大喜びをした。身に付けていると背筋が伸びるというほどではないが、人間の形を保っていられる時間は長くなっている。この一年も猫背な人間として生きていく。

 

もう一つ祝われ自慢。弟から東京創元社のアンソロジー『放課後探偵団』を貰う。梓崎優の『スプリング・ハズ・カム』が大傑作。一度棄却された推理が翻って有効になる。なぜ探偵役たちは「棄却してしまった」のか?それこそが犯人との溝を描き出す構成が、哀しくて美しい。本格ミステリと文芸の融合の一つの到達点だと、兄の贔屓目抜きになかなかの読み手である愚弟が太鼓判を押しているのも頷ける。

完全無欠な感動のためには、自分で見つけて前情報ゼロで作品に向き合わなくてはならない。と言いながら、これまで大いに感動してきた作品は大抵人に勧められている。可笑しいね、嬉しいねとにこやかな気持ちでもあり、絶望的な気持ちでもある。私が信用している何人かの読み手、聴き手、視聴者へ、どうかこれからも一切手を緩めず、私を絶望させ続けてください。

 

卒業論文のためのアンケートのお願い」が回ってくる時期である。いい加減遠のくものかと思っていたが、今年は会社の同僚経由で。方法論のほ の字もない適当な研究やってんじゃないわよ、と無視を決め込む。猫背で意地の悪い、たいへん趣味のいい指輪をした人間。

 

ではまた。

 

*1:よくあるその手の意味のものではなく、単なるイカした装飾具として。という説明を聞かれたらする気で日々過ごしているが、特段誰からも触れられない