日々のこと(22/12/13)

 

冷え込む日々でございます。

自分は冷え性というやつなのでは、とようやく気づく27歳。前髪の隙間が多く感じるのはストレスや加齢ではなく美容師の仕上げによるものだと思いたい27歳。

 

終電の総武線、ホームには誰もいなかったのに車内にはちらほらと。各駅からキッチリと帰るチャンピオンが集う車両。

 

M-1グランプリの決勝が週末にある。みんな、ワールドカップよりこっちの話してくれたらなあ。毎年やってんだよ、人の勇気と叡智の素晴らしい祭典を。個人的には今年はフレッシュめのしゃべくり漫才に勝って欲しい周期。さや香、金属。期待してるぜ。真空ジェシカは年中ラジオを聴かせてもらった大事なコンビ。ただボロ負けも似合う。それが良い、と言いながら勝ったらボロ泣きだろう。

 

年内にもう一本くらい書くかもと思いつつ、今年のことを思い返す。また一歩「そこ」に近づいた気もする。そこでやっていけるような気もするし、進めば進むほど孤独になっている気も、自分がいるところではない気も、いつだってする。そうでない気もいつだってしている。舐めんな。

 

欲しいものに手を伸ばしてるだけなんだ

わかるだろう

わかるだろう?

 

いつだってそれだけだよ。

 

ではまた

すずめの戸締り

新海誠『すずめの戸締り』の感想メモ。

 

※ネタバレする

※推敲してない

※公式資料一切読んでない

 


・前提として、めちゃくちゃ期待して観ないようにはしていた。「君の名は。」→「天気の子」の進化の延長線上で今回さらに超えてくる、というのはあんまり想像できず。新海も俺たちも身がもたんだろうと。

・そう思えたのは事前告知段階で明らかに既存作と異質な雰囲気だったのもあり、これを正直に打ち出したのは正解だと思う。

・上記の身構え方は概ね合っていた印象。少なくとも君の名は。→天気の系譜からは意識的に降りていると思う。その上でちゃんと「今、新海が作る意味のある作品」になってるのには感心した(後述)

 


少女小説・漫画のコード進行

・少女向け文化の匂いだなあ(たぶん)と思う要素が多かった。女主人というだけではなくて、イケメンが椅子になっちゃう、とか、呪文の和風ファンタジー感とか、デカい猫が戦うとか。

・これを指してジブリ的と言ってる人も結構いる


・芹澤(CV神木隆之介)。笑。集英社マーガレットコミックス版の原作「すずめの戸締り」の最終18巻にある芹澤目線の番外編良いよね。ちょっとすずめに惹かれてもいるんだけど、立場もわきまえてしまう感じ。


・キャラ萌えを宗像が引き受けたのが顕著な転換。君の名は。でも男友達グループが可愛かったけど、それがメインに。

・しかもそのベクトルが強いイケメンが椅子になって無力化する→私だけが秘密を知ってる。無力さへの母性、みたいな方向のくすぐり


・ヒロインのキスの価値を落としたのは発明。素晴らしい。キスの民主化


・すずめの人間性がわからん、という感想はわかる。それは主人公属性「どこにでもいる女の子」だからなのでは。

穂高にもおんなじような文句があった気が。一方で"俺たち"だと思っている我々には全くピンとこない批判なわけで。過去エピソードの掘り下げがないって…そりゃあ「色々」あったに決まってんだろ。という共通文脈が補完するところ。

・それの女性版がすずめなら俺がわからんところがあるのは仕方ない。


・坂の上ですれ違ったら恋に落ちちゃうだろ?は男女共通。

・女性主人公の方が、私…なぜか気になっちゃってる!に自覚的? 男子は言い訳が欲しい。助けなきゃ!とか。


・劇場出て開口一番「気持ち悪いところがなくてよかった、JKの口噛み酒とか」と言ってる同い年くらいの女性2人。

・これまでの課題への対策感がある。オタクコンテンツ風味の性ユーモアから漂白された(ようにみえる)男女カプ。

・まあ実は隠れ変態性はあるのだが。椅子に胸当たってない?!とか、座られてお尻当たってるとか、踏まれるとか。

→宗像のリアクションを排除できたのが上手い。伝わる人には伝わる仕組みになっている(こんなしょうもないことで言いたくないが)


・天気の子でゼロ年代エロゲ版の共同幻想を綴ったブログがすごい好きなんだけど。

https://cr.hatenablog.com/entry/2019/07/23/000034


・これは天気が「どこかの文化圏」「ある一定程度共通の価値観を共有する集団」(これらは決して広くない)にブッ刺さる強度があったという話に思う。

・それでいうと、すずめは上記で書いた少女性において、これをルーツにしてる人たちにブッ刺さるかが一つの資金石になるのでは。

・という意味において、鑑賞しながら自分はこの映画をそもそも評価する立場にないなと思っていた。このあたりの感覚をどちらかというと女性客に聞きたい(同居人は「ジブリ」寄りの感想だった)。


■ストーリー

・出てきた客の声その2(別の人、複数人)「今回が一番お話を理解できた」…マジ?!

・と思ったがこれは"理解"の粒度の話で、結構重要な感覚。

・マジ?!と思ったのは自分としては背景心理や世界観へのエクスキューズはかなり情報不足で、よくいえば解釈余地がある、悪く言えばけっこうほっぽり出したところもある映画に思った。

・余談:別に自分も100%の説明は求めないのだけど、さすがにダイジンのあとの西日本の要石どうなるの問題は気になっている。

・一方で、確かにストーリーラインは明確。「扉を閉じて日本を北上するロードムービー」、以上。なるほど、わかりやすいわ。


・そしてロードムービーをもって震災ものをやる、というのは正解に思った。

・前提、これまでの2作で天災に対しては「なかったら良かったのにね」「あってもいい。世界はもう狂っているから、あるいはそれでも我々は健やかでいられるから」という立場をとってきた。

・ごめん、天気の解釈はこれだけで論文ひとつ書ける話題だから雑かつ曲解かもだが、何が言いたいかというと、震災の受け止め方に対して割とアンチテーゼというか逆張りの立場を時代時代で採ってきた人だと思う。し、それが特に天気においては強烈で美しいメッセージとして、刺さるところに刺さった。

・その上でまだ書くとしたら、残っているのは「無かったことにもならない、しかし到底受け入れ難い」というリアル。

・天気は「君>世界」だからの結論なのだとしたら、今度は上記の立場に立つために「世界」の尊さを描かないといけない。

・それをやるのにロードムービー=少女が世界を知っていく構造はハマってた。

 


・しかしもっと活かせたのでは、と思うところもある。

・東京のミミズを止めるシーンのすずめの葛藤(宗像を要石にする/しない)にどこまで共感させられるかという話。

・「いや普通そうするでしょ」はこの場合考えないものとする。

・あそここそ「世界の価値、そこで息づく人々の愛おしさを知ってしまった」ことが活きるシーンなわけで、それを示唆するカットは欲しかったような。

・例えば「(東京に住む)親の家業を手伝う男子高校生、親と兄妹、飲食店のマスター」みたいに、これまで地方ですずめが触れ合ってきた人と同じような人たちがここにも生きているのだ…みたいなことをふんわり伝えるカットとかがあるとあそこの説明力は上がる。

・あの決断は天気との分岐としてやる意味があったからこそ、ストーリーとしての強度は出せるだけ出して欲しかった。「普通の子ならこうする」、に収まってしまった印象。


・ほか。ドアの向こうにいたのは自分だった!はベタだけどやっぱ素晴らしいわ。

・あそこの尺を長く取るのが作家性だなあと思った。

・整えるなら「母と見間違えるくらい成長したすずめが、一言何か言葉をかけて立ち去る」くらいがスマートかつ、ロードムービーによる少女の成長を描いた感がバシッとある。

・でもけっこうあの場に来てもすずめはマゴマゴしてるんだよね。道中というより、あの場において成長した感じの描き方。これはこれでリアルというか手触りがあって、こういうのは大事にすべき。


・叔母さんとのいざこざの解決もよかった。「そういうこともあるけど、それだけじゃない」っていうのは近しい人に悲しい言葉を使ってしまったことに対する最も誠実な弁明の一つだと思う。冴えた脚本。

 

■震災

・そもそもは震災ものをやりたい人だったんだっけ?

・自分にとってた新海=この世界で生きることの肯定、そのための世界の再解釈の人。

君の名は。は「誰か忘れている運命の人がいる」あるいはもっと素直に「東京ってきれいだよ」。

・天気であれば「この狂った世界も誰かの美しい物語の結果」とか、例えば。


・世界と震災が不可分、ということはある。

ファーストガンダムにおいては戦争が時代的にリアリティを持っていて、水星の魔女においては企業間闘争になった、という話。

・震災なしにボーイミーツガールを描けない。現代の価値観に浸透しきっていて、無視できない。

・すずめの価値観=死を受け入れている感じは時代性を捉えていて良かった。

・その中でも生きたいと思うこと。一緒に生きたいと思う人に出会うこと、ということを描く価値は確かにある。


・一方で、世界を描いたかもしれないが肯定された気にもならないのも事実。

・かなりリアルを描いていて、例えば地下のミミズはもはや直球の例え話。

・要石。逆にこれは何のモチーフなのかわからない。というかモチーフがあるというより、ものの味方というか思想なのだと思うのだけど。作劇的に簡単にドラマを作れる一方で、今回だとこの構造自体は解決しない(要石は常に必要)という厳しい事実を突きつけた上で、それを現実に我々が持ち帰る先がない、というのは自分の趣味ではない。

・宮崎発で東北に向かう、というのはやっぱりどこかでそこにケガレがあるような感じにならないか、とそわそわした。(特別な意味ではなく、一般的な、古来日本の価値観的な意味でのケガレ)

・震災があったこと前提の物語。今までで一番時代性を使っていて、良くも悪くも100年経ったら解説がないと理解できない映画。


・大作3本目というと細田守の「おおかみこども」への流れを連想していた。新海誠は自然災害の人になるのか、それともここで清算を終えたことになるのか。

 


■あまりに創造的な清算

・繰り返しになるが上記は「真正面から震災を描く」ときにおいて、まあそうなるよな、ということをちゃんとやっているという話。

・既存作品における災害の扱い方への批判に対してのアンサーとしてはこれ以上なく誠実だろうし、正解を出している。


・手前で触れたフェチ的な描写の(見かけ上の)排除もそうで、これまでキモいキモいと言われてきたことに対して明確に解決している。


・これらをどう捉えるかで。自分の初見の感想を言ってしまうと「ちゃんとしすぎてて不安になる」だった。

・勝手な想像力を働かせると弁明にも見えた。「いや俺、こういうこともやりますんで!」という。

・少なからず大きなところに出るというのはこういうことなのだけど、それにしてはカッチリ決まりすぎていて勝手に心配になった、というところか。


・ただそれでも(だからこそ)本作が素晴らしいのは間違いがなくて、震災を真正面からやる上でのアプローチは大正解だし、オタク文化のキモいところを単に漂白して薄味にするのではなく、別軸で刺さる層がいる旨みをちゃんと作っている。

・自分は天気での世界との距離感に大いに納得したり、まあ多少のキモさは喜んでおくか…という立場だった。要するに手前二作品で満足しきっている人間で、すずめはそうじゃない人に作っているのだろうと。

・その意味で本作に関しては肯定的な意味で自分向きではなく、一方でこの世に確実に本作の真価を決める人たちがいるのだろうな、と思いました。


・震災との向き合い方という意味で、ここまでの三作が一区切りなように思う。それがホップステップジャンプでもなく、細田守的な作家性の切り替えでもなく、三作目が最後のピースになった、という流れは美しいのではないか。

・一区切りなように思う(そうであってほしい)


■文句

・君の名はと天気のbgm使い回しはありえん。全てに意図があれ。

・k&a事務所を流すところ…例えばあの事務所が提供した映像をニュースで流しているとかならわかるけど、番組は西日本のものだからな。

・あるとしたら、本作は明確に3.11が起きた世界線の出来事で、これは少なくとも2011年以降に制作された作品群とは世界を別にしているはず。つまり我々のいる世界線に近いので、メタ的に「RADWIMPSが作ったBGM」としてすずめの世界にも存在するとか…いやあ…。


君の名は。でデート〜奥寺先輩のテーマ〜デート2がほぼ同じ曲なことについて昔考えたが。まあ結局曲数の問題で使い回すことあるよね、ということを先に思うように私もなりました。

・でもそれを今の新海作品の予算でやるか?!radのモチベの問題?


以上。3年後が楽しみだ。

あの街に風吹けば(たとえば石狩に)

去りし8月12日から14日、北海道は石狩市にてライジングサン・ロックフェスティバルに行ってきた。

 

***

北海道はここ数年でわたしにとってたいそう特別な意味をもつ土地になったように思う。縁もゆかりもないところなので、言われる側もこんなに大仰な言葉を使われても失笑ものだろうが、自分にとっての自由を噛み締める場所なのだ。あの場所は。

 

2020年の真夏、世の中がおかしくなり始めて間もない頃に札幌に行った。もちろん(ではないのだが)ライジングサンは開催見送りで、県を跨いだ移動にも白い目を向けられる時勢だったが行った。

元々期待していたライジングサンが無くなった数日間の滞在でやることと言えばひたすらに酒を飲み歩くことと、宿に戻って酒を飲むことだけだったが、その幸福といったらなかった、と思う。

これは自由意志の話だ。この自由を選んだ自分、そして一緒に行った仲間は、いわゆる「信用できる」というやつなのだ。そして、きっとこの時にわたしがこれから何度も北の大地に行く理由は、どうしようもなく決まってしまった。

 

***

とはいえ「自由だ!」と意識していることは自由なのかというと、本当に自由な人はそんなことも考えまい、とも思う。

その意味で、2022年の北海道の私は真の意味で、2020年の私よりも自由でいられたかもしれない。

 

夜ふかしと飲酒と音楽。

一生飽きない、一番好きなことに夢中でいる間に日々が過ぎる。こんなに幸せなことがあるだろうか!

 

しょうもない世の中から耳を塞ぐ悲しくて強いロックンロールも、

音楽と地球の自転そのもののような神秘のそれも、

深夜の秘密基地に訪れて鳴らすパレードも、

空気を振動させてわたしまで届くその全てが愛おしかった。

 

***

羊文学の『あの街に風吹けば』という曲が良かった。

 

ハロー、ハロー!

世界はこんなにも美しいのに

目隠しするのは誰?

風よもっと吹いて

あの子を目覚めさせて

 

俺たちの目はとっくに覚めてるよ。

すっっごい眠い時もあったけど!!

 

ではまた

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げんざいっ!

備忘。

 

このまえ話した同僚が「タコピーみたいな物語を作りたいよ。『タコピーの原罪』のような物語じゃなくて、あの作品におけるタコピーのような在り方の物語。いつか忘れてしまってもどこかに残っていて、ひとの人生を良いほうに導くような物語を」と言っていた。すっごく良い言葉だね。

 

備忘備忘備忘、忘れないように三度繰り返す。

 

ではまた

節電の夜に

仕事の休みを取ったというのに、今日の東京は「電気をなるべく使うでない」というお達しが出ているらしい。間が悪い。

 

Twitterのトレンド(私のごく限られたニュースソース)にはこの節電のはなしと、ウクライナへの軍事侵攻の痛ましい報せが並んでいて、なんだか世界の終わりのようだ。

私はというといつもと変わらずで、昼すぎにもっそりと起きて、ウーバーイーツで届けてもらったハンバーガーを食べて、一本だけ仕事の連絡を書いて(悪くない仕事をしたはず)、とっととシャワーをあびて部屋で酒を飲み始めている。最近買ったカンパリの瓶は同居人にはやや不評なので、わたしに飲む権利が多分にあるのだ。

もともとは今日から感染予防のうんたらかんたらが終わって営業再開をするひいきの飲食店に行こうと思っていたのだが、この状況でひそひそと出向くのもなあ。あと寒いんすわ。

 

Twitterをダラっと眺めていると、節電・計画停電についていろんな人がいろんなことを言っている。意味があるものはもちろんあるんだろうけど、やっぱりこの「みんなでイレギュラーな災害をたのしむ」空気は好きになれない。楽しんでるつもりはないわよ、と言われるかもしれないが、いやいや熱に浮かされていますよ。ここから醸成される「正しさ」のムードの罪も知らずに。

ひとり「ああ良いことを言うな」と思ったのは、「寒さと暗さは人の心を蝕むので、限界を迎える前に電気は使いましょう」という主旨の投稿だった。ムードが殺してしまうのはまさにこっちの視点なのだと思う。「みんなで楽しくおうち時間を過ごそう!」という旗振りに乗っかるのは各人の勝手で、ある視点においては正しいのだろうが、その正しさの圧力で苦しい思いをした人もいただろう。

 

と言っても意味のない意地を張る必要もないわけで、ひとまず今日のところは節電に気をつけてすごす。ああでも明日着る晴れ着の洗濯と浴室乾燥はさせてもらいますね。

あとは、このムードに呑まれて西東京の木造アパートで寒い思いをする若者がいないといいな。

 

他人のままで孤独なままで、お互いに訪れるべき朝が訪れることを祈っています。

 

ではまた

 

ドロステのはてで僕ら(あるいは難波で)

映画『ドロステのはてで僕ら』を観た感想。ネタバレある。

 

>とある雑居ビルの2階。カトウがギターを弾こうとしていると、テレビの中から声がする。
見ると、画面には自分の顔。しかもこちらに向かって話しかけている。
「オレは、未来のオレ。2分後のオレ」。
どうやらカトウのいる2階の部屋と1階のカフェが、2分の時差で繋がっているらしい。
“タイムテレビ”の存在を知り、テレビとテレビを向かい合わせて、もっと先の未来を知ろうと躍起になるカフェの常連たち。さらに隣人の理容師メグミや5階に事務所を構えるヤミ金業者、カフェに訪れた謎の2人組も巻き込み、「時間的ハウリング」は加速度的に事態をややこしくしていく……。
襲いかかる未来、抗えない整合性。ドロステのはてで僕らは ――。

©︎ヨーロッパ企画/トリウッド

 

完全にSF的アイデアの勝利。かつ、それが「映像で見るのが一番面白い」っていうのが低予算SF映画として満点なんじゃないか。

他のギミックでもこのストーリーライン自体は作れるはずなんだけど。「テレビとテレビを向かい合わせて、」。この発明に至るまでの会話劇のボルテージの上がり方や、この展開以降の単純な視覚的な面白さ!これが強い。

 

…といいつつ私がいちばん感動したのはこの映画のストーリーラインであったりする。クライマックスでヒロインが「既定路線として提示された未来を拒絶する」シーン。

ヨーロッパ企画と言えば、の『サマータイムマシーンブルース』のラストは「なあ……苗字って変えられんのかな」だった。未来は決まっているが、そこに「飛び乗る」ことで、臨む未来に自分を持っていけるかも……という話だよね。たぶん。

『ドロステ』はその逆で、未来を変えちゃう。そもそも『サマー〜』がツイストを効かせたオチなわけだから、ひねり戻して(?)ド素直。SFモノとしては一歩間違えれば陳腐すぎるんだよな。でも、だからこそ感動する。それはきっと、そのド素直をすぐ私が忘れてしまうから。サマータイムマシーンブルースを奏でる若者たちには容易すぎるけれど、ドロステの果ての僕ら大人には難しいことだからだ。ぜんぜん変えちゃっていいんだよね。

 

***

70分尺でアマプラにあるっていうのも良い。大阪→東京の新幹線で観たんだわ。

大阪にはハンブレッダーズのワンマンを観に行った。私の一歳年上の頼もしすぎるロックバンド。感染症のなんとかかんとかで短め(つっても18曲)の演目でも良いロックンロールには関係無いよな。

あとふつうに早めに終わったおかげで行きたかったお好み焼き屋にギリ入れて助かった〜。天満の千草っつう、たぶん有名なとこ。お好み焼きもさることながら、牡蠣の鉄板焼きがうまい。鉄板上のあらゆるうまみが集約されたキャベツが。あとドリンクメニューが端的で最高。

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帰宅して次に見たい諸々のチケットをドシドシ申し込んだ。明日は谷賢一率いるダルカラの舞台を観るよ。これも面白いといいな。

 

ではまた