感性が死んだので

ブログを始めた。人生ではじめて。

 

今日は僕+人間ふたりで池袋 中国茶館に行った。

 

関係性を表現する単語、書き言葉だと避けがちだ。*1
友達、友人、微妙に恥ずかしい。後輩、押し付けがましい。
UNISON SQUARE GARDENの田淵さんが最近「仲間」って言葉を使い出したのにかなり驚いた(相当にシニカルな人だと思っていたので)けど、歳とってあえて言うのはアリかも。
ということで取り急ぎは「人間」を採用した結果、たいへん心ない感じになってしまった。
もっとこういった無駄な自意識の薄い人種の素直さ、熱いハートを見習っていくべきかもしれない。訂正します。

 

今日は僕+”心友”(しんゆう)ふたりで池袋 中国茶館に行った。

 

中国茶館、本当に好きだな。
 中国茶館 (チュウゴクチャカン) - 池袋/飲茶・点心 [食べログ]
ホルモンとアジア系料理はごちゃついた店、胡乱な店で食べるのがベストだと思っている一方で、私の神経質さが発揮されてしまうのでただ小汚い店も困る。
この微妙なバランスを完璧にクリアした上で飯も抜群に美味いとなれば、何度も行っちゃうのは当然だよね。
注意すべきは、「ちまき」を注文すると「うちのちまきはマジで大きいけど大丈夫か?食べ切れるか?」と執拗に確認してくるのでホームベース大のものを想像してひるむ(確かに、中華料理は時々サイズ感が狂っていて太平洋みたいな麻婆豆腐が出てくることもあるのだ)が、せいぜい通常おにぎりの1.5倍程度なので、無視していい。そして「ちまき」も当然美味い。

 

その会の話で完全に私が乗せられ、ブログを始めるに至った。

 

Twitter読書メーター、仕事。文章を日頃書いていないわけではないが、どうしても出し先のゲーム構造を意識した書き方になってしまう。
一例としてTwitter*2まずもって私は別にたくさんの皆々様に自分のことを発信したいわけではないのだけど、あそこに投稿する以上そういうラベルが多少なりとも貼られる。そして書いたら書いたで、「いいね数」に基づく地獄のゲームへ否が応でも参加開始。(これを無視できない私の心の脆弱さよ)
結果的に長いことTwitterで自分の内心に肉薄する話はしていない。Twitterのコードに沿った、外向けの、意味のない何かをうにゃうにゃ言っている。言われてみりゃ確かに、閉塞感で感性が死んでいく。

そういったゲームから独立したところで、自分どんな文章を書くのか知りたい。
大概私も私に関心が強いので気になる。面白そう。ブログやろう。

 

それで書き始めて、したのが自意識とちまきの話。そうか〜。
志磨遼平のように美しく豊かな文章が書きたいね。

 

また書きます。ブログ書く慣性は死なないように。

*1:同じ理屈で交際相手のことを他人に説明するとき「交際相手」と呼称することがままある。裁判?

*2:漫画のタイトルっぽくない?!と思ったけど、『一礼して、キス』か